主を愛する者が、日の出の勢いを得ますように

2017.08.19.23:28

いかに幸いなことか、
主を神とする国、
主が嗣業として選ばれた民は。33128/20の週の聖句)

 主を愛する者が
日の出の勢いを得ますように。
士師記531

 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、
今は主に結ばれて(新改訳:主にあって)、光となっています。
光の子として歩みなさい。
エフェソ書58

 ルカ
194148
 詩62(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/20;Ⅲ日)

幸いなのですね。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を自分の神とする国、
天の神、主がご自分の相続財産として選ばれた民は。

この方を愛する者、この方を愛し、尊敬し、自由意思で、自発的に、
自分の理性による善悪の判断が成ることではなく、
この方の御思いが実現することを願う者は、
夜明けの太陽が勢いよく上って来るような勢いをいただけるのだそうですから。

私たち、以前は、心の暗闇を歩く者でした。
自分の理性による善悪の判断を、天の神、主に見せようとしないで、
隠れて、こっそりと、その善悪の判断のとおりを歩んでいく者でした。

 しかし、今は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、
私たちの身代わりとなって、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださったイエスに合わせていただいて、処刑されたもの、死んだものとしていただいて、
三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語った後、弟子たちのみている前で、
オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方に満たされ、上から覆われ、沈められ、漬け込まれて、この方の中にいる者としていただき、
この方によって、心の中を行き来する、自分の思いの一つ一つを
〔父である神〕、〔御子である神〕の御前に投げ捨て、見ていただき、知っていただき、
私たちの思いの全部が、〔父である神〕の御心の中にあるようにしていただきながら、

そして、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の私たち一人一人に思っておられる御思いを、心に置いていただいて、
〔父である神〕の御思いが私たちのうちにあるようにしていただき、
隠しているところのない、明るい関係、
光の中を生きる者にしていただけるのだそうですから。

イエスが、十字架に架かられるため、最後のエルサレム上りをしたとき、
エルサレムが近くなったころ、都を見られたイエスは、その都、エルサレムのために泣いて言われたのだそうです。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら、
しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、
おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。
それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」(ルカ194144新改訳)と。

 そして、宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、言われたのだそうです。
「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある(イザヤ56:7)。
それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした」(エレミヤ7:11)
と。
そんなわけで、イエスはいよいよ、祭司長、律法学者、民の主だった者たちから、殺そうと狙われることになったのだそうです
(ルカ194548

私たち、今を、〔御子である神〕イエスと、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる神の訪れの時と知り、
この方を受け入れて、光としていただいて、
ともに、この詩篇を歌う者としていただきたいですね。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の救いは神から来る。
神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。
私は決して、ゆるがされない。

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。
私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎだせ。
神は、われらの避け所である。

まことに、身分の低い人々は、むなしく、
高い人々は、偽りだ。
はかりにかけると、彼らは上に上がる。
彼らを合わせても、息よりも軽い。
圧政にたよるな。
略奪にむなしい望みをかけるな。
富がふえても、それに心を留めるな。
神は、一度告げられた。
二度、私はそれを聞いた。
力は、神のものであることを。
主よ。恵みも、あなたのものです。
あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます」(詩篇62新改訳)と。

この新しい週を。
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イエスの復活による、生き生きとした希望を

2017.08.19.08:46

あなたの太陽は再び沈むことなく、
あなたの月は欠けることがない。
主があなたの永遠の光となる。
イザヤ書6020

 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
死者の中からのイエス・キリストの復活によって、
生き生きとした希望を与えられました。
Ⅰペテロ1:3

 ルカ
124248
 使徒26123(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/19;土)

私たちが、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を忘れて、さまよい出で、心の暗闇に陥ってしまうことは、もう、ないのだそうです。

この方に心の動きの全部を差し出し、見ていただきながら生きる人は、この方の光の中を歩むことになるのだそうですから。

 私たちは、この方を知らず、神なく、望みなく生きていた者でした。
この方によって、この方と思いを同じくし、心を一つにしながら生きるようにとの願いによって造られたものでありながら、
この方と一つになる場からさまよい出て、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、
この方を無視し、対抗して、自分の思うままに生きる私たちでした。

 そのような私たちを、なお、愛し、あわれみ、
〔御子〕である方を人として、人の世に遣わしてくださり、
私たちの〔的外れ〕の責任の全部をこの方に取らせて、私たちに代わって十字架刑で処刑し、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、処刑の終わったもの、死んだものとしてくださっているのだそうです。

そして、死んで葬られたイエスを、三日目に死者の中から復活させ、40日に渡って何度も弟子たちに現われさせ、神の国のことを教えたのち、弟子たちのみている前で、オリーブ山から、天のご自身の右の座に帰らせなさったのだそうです。

そして、この、天に帰られたイエスを通して、もう一人の助け主である方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方の働きで、私たちの心に、ご自身が私たち一人一人に対して思っておられる御思いを置いてくださり、私たちがこの御思いを自分の思いとし、この思いによって生きる者にしてくださるのだそうです。
それで、この方、天の神、主が私たちの光となり、暗やみの中を生きることはなくなるのだそうです。

イエスは言われたのだそうです。
「旅に出る主人から、その家の僕たちを任されて、食事時には、彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれなのでしょう。
主人が帰って来たとき、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
わたしは真実をあなたがたに告げます。
主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。

ところが、もし、そのしもべが、「主人の帰りはまだだ」と心の中で思い、
下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、
しもべの主人は、思いがけない日の、思いがけない時間に帰って来ます。
そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに合わせるに違いありません。

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。
すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」ルカ124248)と。


パウロは、ローマ総督フェストと、ユダヤの領主アグリッパ王(アグリッパ二世、ヘロデ大王の曾孫)の取り調べの時も、自分の経験を、そのとおりに、真実に語っています。

以前は、自分自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に反対すべきだと考えていたこと。
そして、それをエルサレムで実行し、イエスの弟子たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を入れていたこと。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、
彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついに国外の町々にまで彼らを追跡して行ったこと。

祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行き、その途中、正午ごろ、太陽よりも明るく輝く天からの光が周りを照らし、みな地に倒れたこと。
そのとき、ヘブル語で「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺のついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」という声が聞こえ、
「主よ。あなたはどなたですか」と私が言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
起き上がって自分の足で立ちなさい。
わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後、わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、
わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、
聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」と言われたこと。

こういうわけで、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするよう、
預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと、
すなわち、キリストは苦しみを受けること、
また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということ以外は何も話さなかったこと(使徒26123新改訳)を。

私たちも、委ねられ、任された分に応じていのちのパンを配っていきたいですね。
死者の中からのイエス・キリストの復活によって与えられた生き生きとした希望を。
今日も。

その腹から、生ける水が湧き出で、泉となり、大きな川となって流れ出し

2017.08.18.00:23

あなたたちは喜びのうちに、
救いの泉から水を汲む。
イザヤ書123

 イエスの言葉:
渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。
ヨハネ73738

 エレミヤ書
11119
 使徒251327(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
8/18;金)

イエスに信頼する者は、旧約聖書の約束のように、腹から、生きた水が湧き出て、それが大きな川々となって流れ出て、世界をうるおしていくようになるとイエスは言われたのだそうです。

 そして、イエスが十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られて、三日目の日曜日の早朝、墓から、新しいからだによみがえり、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて、神の国のことを語った後、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の、〔父である神〕の右の座に帰られ、
ご自身に代わる方として、もう一人の助け主、〔聖である霊」と呼ばれる方を
受け入れる者のうちに派遣してくださるのだそうです。

 そして、この方の働きが、私たちの腹から、大きな川々が流れ出るように流れ出し、
周りを神の祝福の洪水のようにされるのだそうです。

 この方が、受け入れる者の心に、〔父である神〕の御思いを置かれ、
私たちがその御思いについていくとき、
その御思いが事実となって現れ、神の栄光の御業が成っていくのだそうですから。
取り次いだ、その預言の言葉のとおりの事実が。
今日も。
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災い、悩み、そのすべてから救い出してくださる方

2017.08.17.07:40

主に従う人には災いが重なるが、
主はそのすべてから救い出してくださる。3420

 パウロの手紙:
知ってのとおり、
私たちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、
私たちの神に勇気づけられ、
激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。
Ⅰテサロニケ22

 Ⅰコリント
91623
 使徒25112(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
8/17;木)

正しい者、主に従う人には悩みが多いのだそうです。
しかし、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
そのすべての災い、悩みから救い出してくださるのだそうです。

パウロも、ピリピで、神のあわれみによるイエスの救いを宣べ伝えたのだそうです。
そこに、占いの霊につかれた女性がいて、パウロたちのあとについて来て、
「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続け、それが幾日も続くので、
困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、
「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言うと、
即座に、その霊が出て行ったのだそうです。

それで、彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、
役人たちに訴えるために広場へ引き立て、長官たちに引き渡したのだそうです。
群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむち打ち、牢に入れたのだそうです(使徒161140)。
そこで、牢番とその家族がイエスを受け入れるということも起こりましたが、
パウロはこの時のことを、「苦しめられ、はずかしめられたけれども、私たちの神に勇気づけられ、激しい苦闘のなかで」とテサロニケの弟子たちへの手紙に書いているのですね。

パウロは、コリントの弟子たちに宛てた手紙に書いています。
「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。
それはユダヤ人を獲得するためです。
律法の下にある人々には、私自身は律法の下にいませんが、律法の下にある者のようになりました。
それは律法の下にある人々を獲得するためです。
律法を持たない人々に対しては、
――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが――
律法を持たない者のようになりました。
それは律法を持たない人々を獲得するためです。
弱い人々には、弱い者になりました。
弱い人々を獲得するためです。
すべての人に、すべてのものとなりました。
それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
私はすべてのことを、福音のためにしています。
それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」(Ⅰコリント91623)と。


〔聖である霊〕と呼ばれる方の迫りの中でエルサレムに上ったパウロ。
そこで、ユダヤ人たちに捕らえられ、殺されそうになるのを、
エルサレムを治めていたローマの千人隊長によって保護され、
カイザリヤにいたローマ総督ペリクスのもとに護送されたのですが、
ペリクスは、パウロに罪がないのことが分かりながら、ユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいたのだそうです。

2
年後にペリクスの後任として来たポルキオ・フェストも、ユダヤ人の歓心を買おうとして、行けば殺されてしまうであろうエルサレムに上り、裁判を受けるかと切り出したので、
パウロは、カイザル(ローマ皇帝)に上訴し(パウロはローマの市民権を持っていたので)、
ローマで、カイザルの法廷で裁かれる道を選んだのだそうです(使徒25112)。

このように、主に従う人、神の御用をしていくときには、災いや悩み、困難が多いこともありますが、
天の神、主は、そのすべてから救い出してくださり、御思いを実現してくださるのだそうです。
私たちにも。
今日も。
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正義と、慈しみが結ぶ実を増し加えて

2017.08.15.22:02

正義を洪水のように、
尽きることなく流れさせよ。アモス書524

 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
あなたがたに種を与えて、それを増やし、
あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
Ⅱコリント910

 Ⅰコリント
102331
 使徒242227(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
8/16;水)

私たちは神の民だとして、盛んな祭りをし、献げ物をたくさんしながら、
自分の理性による善悪の判断に従い、自分の思いのとおりに生き、
ご自身と思いを一つにしようとしないイスラエルの民に対して、
天の神、主は言われるのだそうです。

「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。
あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。
たとい、あなたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、
わたしはこれを喜ばない。
あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。
あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。
わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。
公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。」(アモス
52124新改訳)と。

天の神、主は、私たちを、常にすべてのことに満ち足りて、
すべての良いわざにあふれる者とするために、
あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方。
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方。
私たちに蒔く種を備え、それをふやし、義の実を増し加えてくださる方なのだそうです。

自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのだそうです(ガラテヤ51)。
パウロは手紙に書いています。自由な者として、
「すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光をあらわすためにしなさい」(Ⅰコリント102331新改訳)と。

パウロは自由な人でした。
その自由なパウロが、エルサレムへ行けば、捕らえられ、苦難が待っているとの預言を受けながら(使徒211013)、
〔聖である霊〕に心迫られるままにエルサレムに行き、
そして、殺されるところをローマ兵によって助け出され、カイザリヤに護送されて、裁判を受けることになり、裁判の弁明においてイエスを証しし、
また、総督ペリクスにも、「正義と節制とやがて来る審判」を論じたのだそうです(使徒25:1~12)。

 イエスは、世の終わりについて言われました。
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、
恐ろしいことや天からの前兆が現れます。
しかし、これらのすべてのことの前に、
人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、
わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
それはあなたがたのあかしをする機会となります。
それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしはあなたがたに与えます」(ルカ211015)と。

 パウロの出来事も、このイエスの言葉のとおりのことだったのですね。
私たちにも、自分に与えられている自由意思において、
十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方が心に置いてくださる、〔父である神〕の御思いについて行かせてくださり、
心と思いを一つにして、
神が備えていてくださる正義と慈しみが結ぶ実を成長させてくださるのだそうですから。
今日も。
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