望みは、この方に置いて

2017.10.20.22:05

主よ。何に望みをかけたらよいのでしょう。
私はあなたを待ち望みます。
398

 イエスは病の娘に言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。」
ルカ848

 マタイ
51724
 エゼキエル書2133(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/21;土)

 私たちは、自分の終わりを思うとき、自分のはかなさを知ることになります。
「私の一生は、神であるあなたの前では、ないのも同然です。
まことに、人はみな、盛んなときでも、まったく空しいものです」(詩篇
3945新改訳)と。

 けれども、私たち、自分自身に望みはかけられなくても、
天の神、主に望みをかけていいのだそうです。


 イエスが、会堂管理者ヤイロの家に向かっておられたとき、
大勢の人がひしめき合い、押し合いながらイエスについて行っていたのだそうですが、
そのとき、一人の女性が、イエスの衣の裾についているふさにさわったのだそうです。
「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えて。

 この女性は、12年の間長血をわずらっていて、
多くの医者からひどい目に会わされて、
自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、
だれにも直してもらず、かえって悪くなる一方だったのだそうです(マルコ
526)。

 イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われたのだそうです。
その女性は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、
御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、
たちどころにいやされた次第とを話すと、
イエスは、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
安心して行きなさい」と言われたのだそうです(ルカ
84348新改訳)。

私たちも、もう、何にも望みがかけられないときにも、
この方、天の神、主、「『私はある』という者」と名乗られる方には望みがあるのだそうです。

 イエスは、求める者に、律法学者やパリサイ人の義、
神の律法を自分の力で守ろうとして努力している人の義にまさる義を
与えて下さるのだそうですから(マタイ5:17~24)。

 イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心に、〔父である神〕が私たち一人ひとりに思っておられる御思いを置いてくださり、
心のほうから、私たちが〔父である神〕と思いを一つにするようにしてくださり、
〔父である神〕が、私を通してしようと思われることをしていく者にしてくださるのだそうです。

 私たち、自分自身には望みがないまま、この方に望みを置いて、安心して、出かけて行っていいのだそうですから。
今日も。
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男と女が、それぞれ、特徴をもって、補い合うように

2017.10.19.23:39

 神は人を男と女に創造された。
創造の日に、彼らを祝福されて、
人と名付けられた。
創世記52

 尊敬をもって
互いに相手を優れた者と思いなさい。
ロマ1210

 ロマ(1420b1511526
 エゼキエル書12228(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句10/20;金)

 天の神、主は、私たち人間を、男と女に創造されたのだそうですが、
「みんな、同じに」ではなく、
それぞれ、違っていて、
相手が、自分の持っていないものを持っている、
互いに相手が自分よりも優れたものとして尊敬し合うように創造されたようです。

 大量生産のビスケットのように、
十把ひとからげに、みんな同じに造られたのではなく、
それぞれに、細かい御思いをもって、
個性的に、それぞれ、違ったものとして造られているのだそうです。
互いに尊敬し、相手を大切に思い、
愛において一つになり、互いに補い合う者ようにと。

 イエスも、ご自分を喜ばせることはなさらないで、
私たちの受けるはずのそしりをご自分の身に受けてくださったのだそうです。
それで、私たちも、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思い、イエスの御思いが心に来るとき、
イエスと思いを一つにする者となり、
自分を喜ばせることよりも、隣人を喜ばせ、
その人の徳を高め、
その人の益になることを願っていくようにしていただけるのだそうです(ロマ1512)。
 今日も。
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大きく、深い、御計らいによって

2017.10.19.08:20

主よ、あなたの御業はいかに大きく、
計らいはいかに深いことでしょ
う。
926

 キリストに根を下ろして造り上げられ、
教えられたとおりの信仰をしっかり守って、
あふれるばかりに感謝しなさい。
コロサイ書27

 ガラテヤ書
51318
 ガラテヤ書51318
 エゼキエル書11~~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1019


天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の御業、
その御計から
いは、大きく、深いというのですね。
創造の御業についてもそうですが、
私たちのこの歴史を導いておられる御業、
そして、私たち一人ひとりに現してくださる御業、その御計らいは。

ご計画の時が満ちて、〔父である神〕は、この人間の歴史の中に、
独り子である方、〔御子である神〕を、預言のことばのとおりに、
ベツレヘムで、
「女の子孫」として(創世記
315)、
ダビデの子孫である一人の貧しい処女マリアの胎を通して生まれさせ、
この方がおよそ
33歳のころ、エルサレム城外で十字架刑で処刑され、
神にそむく者、反逆した者として、天と地の間に高く掲げられたのだそうです。

そして、このイエスの処刑によって、
私たち、すべての人間の「そむき」、「的外れ」の責任の処罰が終わったもの、
完了しているものとしてくださって、ご自身との和解を提案してくださっているのだそうです。

 そのうえで、これを受け入れる人々に、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって私たち一人ひとりに思っておられる御思いを、それぞれの心に置いてくださって、
私たちがご自身と同じ思いを思い、一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

それで、これをもらった、受け取った人たちは、
〔父である神〕と思いを一つにしておられるイエスの御思いに根を下ろし、
イエスの御思いで行動する者となり、
〔父である神〕への信頼がいよいよ強くされて、
あふれるばかりの感謝で満たされるようになるのだそうです。

〔御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって歩む者にしていただけて、
今までの、自分自身の理性による善悪の判断だけで行動していた生き方から解放され、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、
〔父である神〕の御思いによって行動する者にしていただけるのだそうですから(ガラテヤ
51318)。

 〔父である神〕が私たちを愛していてくださる、その愛の御思いが心に来て、
その心に来た御思いによって、
隣人を自分自身のように愛する、大切に思うようにもしていただけるのだそうですから。
〔父である神〕の御計らいのとおりに。
今日も。
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間に合うもの、役に立つものにしていただけて

2017.10.18.20:02

なぜ主の言葉を侮り、
わたしの意に背くことをしたのか。
サムエル記下129

 神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。
そこには、「主はご自分の者たちを知っておられる」と、
また「主の名を呼ぶ者は皆、
不義から身を引くべきである」と刻まれています。
Ⅱテモテ219

 雅歌
847
 ルカ181830(通読箇所) 
   (ローズンゲン日々の聖句
10/18;水)


 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
預言者ナタンを通して、ダビデ王に言われたのだそうです。

「イスラエルの神、主はこう仰せられる。
『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、
サウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたに主人の家を与え、
あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、
イスラエルとユダの家も与えた。
それでも少ないというのなら、
わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。

それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、
わたしの目の前で悪を行ったのか。
あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、
その妻を自分の妻にした。
あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ』」(Ⅱサムエル1279新改訳)、と。


彼ら(ヒメナオとピレト)は、真理からはずれてしまい、
復活がすでに起こったと言って、ある人々の信仰をくつがえしているのです。
それにもかかわらず、神の不動の礎は堅く置かれていて、
それに次のような銘が刻まれています。
「主は、ご自分に属する者を知っておられる。」また、
「主の名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。」

大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。
また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
ですから、だれでも自分自身をきよめて、
これらのこと(何の益にもならず、聞いている人々滅ぼすことになる、ことばについての論争、邪悪な無駄話
21416)を離れるなら、
その人は尊いことに使われる器となります。
すなわち、清められたもの、主人にとって有益なもの、
あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。

それで、あなたは、若い時の情欲を避け、
きよい心で主を呼び求める人たちとともに、
義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
無知な思弁を避け、争ったりしないで、
むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、
反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい(Ⅱテモテ21825)、と。


私たち、天の神、主に話していくことをせず、
天の神、主に願うことをせず、
この時のダビデ王のように、天の神、主をあなどり、
自分の理性の判断で、自分が判断した善し悪しに従って行動する者です。

 けれども、イエスの十字架刑での死を自分の死としていただき、
墓に葬られ、三日目に死者の中から、新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって、心に、〔父である神〕が思っておられる御思いを置いていただいて、
その御思いについて行く生き方をする者は、きよめられた、

神がしようと思われる御業に間に合う、役に立つ者に
していただけるのだそうですね。
今日も。
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答えようとして、待ちかまえておられるのだそうですから

2017.10.16.22:15

主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。ヨエル書35(新改訳では、232

 門をたたきなさい。
そうすれが、開かれる。
ルカ119

 マルコ
33135
 ルカ18917(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/17;火)

 天の神、主は、ヨエルを通して言われます。

「わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。
血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主、『「わたしはあるという者」と名乗られる方』の名を呼ぶ者は
みな救われる」(ヨエル230~32新改訳)、と。


イエスは言われます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであっても、求める者は受け、
捜す者は見つけ出し、
たたく者には開かれます。

あなたがたは、悪い者であっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
どうして聖霊をくださらないことがありましょう(ルカ11913)、と。

けれども、自分は、得ている、知っている、到達していると自負している人は、
求めようとせず、門をたたこうともしないのですね。

 自分には、神の前に差し出す良いものが何一つないと分かっている人が、
神のあわれみを求めるようです(ルカ18914)。

 〔父である神〕は、私たちが、
ご自身を愛しようとしない者、
ご自身と心を一つにしようとしない者であることを認めて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を求め、
この方によって、ご自身と愛し合う関係に入り、
思いを一つにし、心を一つにする者になって(エゼキエル362528)、
一つ家族に(マルコ33135)加わってほしいと願っておられるようですね。
今日も。
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