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心の目に、命の光を与えていただきながら

2018.03.23.07:19

主の戒めは清らかで、
目に光を与える。
199

 イエスの言葉:
わたしがあなたがたに話した言葉は
霊であり、
命である。
ヨハネ663

 ヘブル書1011118
 ヨハネ17111a(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/23;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の戒め、言葉、
そこに込められた〔父である神〕の御思いは、
清くて、目に光を与え、明るくするのだそうです。

 イエスが弟子たちに話した言葉、
それは、イエス自身から出たものではなく、
〔父である神〕の御思いから出ているもの、なのだそうですが、
それは、霊であり、命なのだそうです。

 そして、その永遠の命とは、
私たちが唯一のまことの神である〔父である神〕と、
〔父である神〕が遣わされた
イエス・キリストを体験して知ること(ヨハネ173)、なのだそうです。

 イスラエルでは、モーセ以来、年ごとに、
民の罪の身代わりとして雄牛とやぎの血が、命が、ささげられてきました。

 けれども、これは、後に来るものの影であって、実物ではなく、
これによって、神に近づいてくる人々を完全にすることはできないのだそうです。

 そして、ご計画の時が満ちて、
御心に従って、
その影の本体であるイエスのからだが、一度だけささげられたことにより、
これをもらい、受け取る者は聖なるものとしていただけるのだそうです。

 イエスは、私たちの罪のために
一つの永遠のいけにえとしてご自分のからだをささげて後、
新しい霊のからだに復活して、神の右の座に着き、
その栄光の御座から、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
受け入れる者の心に置き、
思いに書き付けてくださるのだそうです(ヘブル1111118)。

 受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じにし、
心を一つにするようにと(創世記126、ヨハネ17112123)。

 
イエスは、過ぎ越しの小羊がほふられるその時刻に、
十字架刑での処刑を受け、命をささげてくださり、
墓に葬られ、
三日目、大麦の初穂がささげられるその日に、
復活の初穂として、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
ご自身が生きていることを見せ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山から、弟子たちの見守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。。

  それで、この約束のことばを信じ、受け入れた者は、
そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるのですね。

 私自身である〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いを、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、死んだものから来た思いであると認めながら(ロマ
611)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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